大判例

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大阪高等裁判所 昭和42年(う)1264号 判決

被告人 辻本一雄 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人両名はいずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、各被告人本人の連名で作成された控訴趣意書ならびに弁護人井関和彦、同得津正熙および同児玉憲夫の連名で作成された控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官寺下勝丸の作成にかかる答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判示犯罪事実その一における被告人辻本一雄の所為につき、右は、会社側および組合内部の分派活動派である誠友会と結託呼応し、組合に対する分裂策動の一環として行なわれた鈴木昭一におけるビラ配布の行為に対し、すでに配布されたビラを取り除き、さらにその配布を続けようとする同人の行為を阻止したにとどまるものであつて、当時現場の付近にいた北野邦一の証言に徴しても、なんら原判示のごとき暴言を伴う暴行をした事実はないのに、真実を曲げて自己の行為を正当化しようとする鈴木の証言や、不正確な目撃者山内正剛の供述を全面的に信用し、さらに、取調官の追及に迎合した同被告人の捜査官に対する各供述調書中の自供部分を採証して暴行の事実を認定した原判決は、事実を誤認したものにほかならず、また、同判示犯罪事実その二における被告人両名の所為につき、右は、鈴木に対し、ビラの内容を取り消すためもう一度組合事務所へ来てもらいたいと話したところ、同人もこれを納得したので、被告人両名でその手を取り、スクラムを組むようにして組合事務所の方へ一緒に歩いて行つたというだけのことで、被告人らにおいて同判示のごとき暴言をはいたり、乱暴な態度をとつたことはなく、もともと右同行については鈴木もこれを承諾していたのであるから、なんら不法な逮捕にあたる行為は存在しなかったのに、歪曲された鈴木の証言等を採用して、同判示のごとき逮捕の事実を認定した原判決は、この点においても事実を誤認しているものであり、なお、外形的に暴行又は逮捕とみられる行為が仮りに存在したとしても、これらは、いずれも憲法二八条および労働組合法によつて保障された労働者の団結権を確保する目的をもつて、使用者側と内通し、組合を分裂攪乱しようとする裏切行為に対してなされた正当な抗議行為であつて、かように危険が切迫していて説得の余裕がない場合には、ある程度の実力行使を伴っても、その違法性は阻却されるものと解すべく、特に、犯罪事実その二のごときは、白昼会社側の幹部が見まもるなかで、僅か六〇米の距離を、問答を交じえながら一五分の時間をかけて連行したというにすぎないもので、その目的の正当性、手段の相当性および法益の権衡その他いずれの見地からしても、可罰的違法性を欠如している行為とみなすべきであるにもかかわらず、本件被告人らにおける各行為の動機および目的が組合の団結権を擁護することにあつた点を肯認しながら、会社側のうしろだてにより組合の破壊を企図する鈴木らの行為との比較関連について十分の考慮を欠いた結果、その手段、方法および法益侵害の程度がやや相当性の限界を越えているとして、被告人らに本件各罪責を認めた原判決は、有罪とするに足りる理由を示さず、かつ、法令の解釈適用に関する誤りをおかしている、と主張するものである。

そこで、訴訟記録および各証拠ならびに当審の事実取調の結果を総合して、まず本件の事実関係を検討してみると、原判示株式会社日本鉄工所の従業員中、その千葉工場に派遣された十数名の者が、曲折を経て結局本社従業員で構成されている労働組合から脱退し、千場工場の従業員のみで新たに労働組合を作り、本件被害者とされている鈴木昭一がその書記長の地位についたこと、そして、昭和四〇年二月二七日右千葉組合の結成に関する調印などの用務を帯びて大阪の本社におもむいた鈴木が、来阪の機会を利用して、さきに本社の組合が配布した原判示ビラAに反駁する趣旨の同判示ビラBを配布しようと考え、同年三月一日午前六時ころ、封筒に入れ、宛名を書いて準備した同ビラ約四〇〇枚を持参して本社東門にいたり、保安係の制止にもかまわず、従業員の出勤カードラツクに右ビラを差し入れはじめたこと、これを知つた本社組合員の通報により、当時本社組合の副組合長をしていた被告人辻本は、午前七時ころ急きよ自転車で右本社東門にかけつけ、鈴木の背後から原判示のようなひぼうの言葉を浴びせながら、右手で同人の左肩を掴んで、これを後方に引きのかせ、すでに差し入れてある約二五〇通のビラを次次にカードラツクから引き抜いて捨て去り、鈴木が自分らの言分もきいてくれとの趣旨を述べて近づくと、これを排除するように肘で同人の胸部辺を一回突いたこと、その後、鈴木が、被告人辻本の体格などからみて力づくではおぼつかないと判断し、同被告人のそばを離れて抜き取られたビラの一部を整理したりしているうち、かねて迎えに来るように手配しておいた営業用のタクシーが到着したので、同七時二〇分ころ、せめて宛名の書いてないビラだけでも出勤してくる社員に配ろうとして出社の社員にビラを手渡していると、被告人辻本は、その場に来て、これを阻止するため、右手で鈴木の胸部辺を二回突き、さらに、同人がビラの配布を断念して駐車中の右タクシーに乗車しようとするや、同判示のように逃がしはしないぞなどと言いながら、同人の手首を掴み、腕を組むようにして引張り、同人を近くの組合事務所の中へ連れこんだこと、そして、組合事務所で詰問や非難を受けた鈴木が、同七時三〇分ころ、用便にかこつけて同所から退出し、便所の中で被告人辻本の様子をうかがいながら、隙をみて前記タクシーの駐車地点にいたり、後部座席に入つて扉をしめた直後、被告人辻本は、鈴木のあとを追いかけ、同所におもむいてタクシーの扉をあけ、逃げようとしても逃がさないぞなどと言つて右手で同人の左手首を握り、左手でその胸の辺の着衣を掴んで同人を車外に引張り出し、右腕で同人の左腕を抱えるようにして、再度同人を組合事務所に同行させたこと、鈴木は、それから暫くの間同事務所で組合本部の執行委員たちから追及を受けたのち、一旦開放されて近鉄八尾駅までいたつたが、また組合事務所に連れ戻されることになり、謝罪文などを書かされたうえ、ビラBの内容について取消文を書くように要求されているさい、千葉から会社の第二事務所に電話がかかつてきているとのしらせがあつたので、組合事務所を出て会社の第二事務所にいたり、電話の用務を終わつて会社の構外に退去すべく右会社の第二事務所から正門の方向に向かつて歩いて行くと、これを見た被告人辻本および本社組合の書記長をしていた被告人岡崎の両名が、原判示のように相互に意思を通じ合つたうえ、鈴木をさらに組合事務所へ戻らせようとし、荒荒しい言葉を使つて鈴木の前に立ちふさがり、同人を中にはさんでそれぞれその両腕を抱え、同社正門付近から職員更衣室の北側にいたるまで約六〇米の構内通路を無理に連行したこと等原判示その一およびその二の事実に対応する事態の推移を明らかに認めることができる。これらの経過のうち、原判決が、その前段における被告人辻本の行為を一括して鈴木に対する暴行行為にあたるものとし、後段における被告人両名の行為を鈴木に対する逮捕行為にあたるものと認定したのに対し、所論は、まず、鈴木の証言の信用性等を争つて、右被告人らにおける各行為そのものの存在を争うのであるが、鈴木の原審における証言を他の各証拠と対比しながら吟味してみると、多少被害感情に走つた表現や語句が用いられている傾きは感得されるにしても、事がらの大綱において、あえて作りごとを述べ、真相を曲げてまで被告人らに不利益な供述をしているものとはみなすことができず、所論指摘の反対資料をもつてしても、前記経過にみられる被告人らの鈴木に対する各行為自体の存在については、これを否定するに由ないものと考えられる。そして、右被告人らの鈴木を対象とした有形力の行使にわたる各行為のうち、右前段における被告人辻本の行為が一応暴行罪の要件にあたるものであり、また、後段における被告人両名の行為についても、鈴木がもはや組合事務所へおもむこうとする意思を有していなかつたものと認められる点からして、きわめて短かい距離ではあるが、同人の行動の自由を制して同行を強いた部分が、外形的に逮捕罪としての要件を備えているものであることは、いずれも原判示の判示しているとおりであつて、かかる意味で原判決の各認定事実およびこれらに関する構成要件上の評価には、少しも所論のごとき誤りがあつたものということはできない。ただ、右各有形力の行使について、終局的な刑罰的評価を決定するにあたつては、これら各行為の形象が一応外形的に違法類型としての各罪の要件に該当する場合であつても、所論指摘のとおり、その行為にいたる動機および目的の正当性、手段および方法の相当性、被害の程度および当該行為によつて侵害された法益とこれによつて保護されるべき法益との権衡等の諸点からみて、当該行為が法秩序維持の上で許容されるべき限度を越え、その違法の程度において可罰性を帯有するにいたつているかどうかの点にまで、さらに実質的な考察を進めなければならないものと考えられる。右の観点から、本件の背景をなしている諸事情を考えてみると、原判決が詳細に説示しているとおり、労働協約の失効にはじまつて千葉工場従事員らにおける組合からの脱退とその撤回およびこれに続く第二次脱退と新たな組合の結成にいたるまで、本件株式会社日本鉄工所における本社従業員の組合本部および千葉工場従業員の集団ならびに会社側幹部の三者相互の関係は、数箇月の間にめまぐるしく変遷を重ね、結局、千葉工場における新たな労働組合の結成を会社側が承認するに及んで、本件当時、本社組合と千葉組合との間の反目対立の感情は、かなりの程度に激化していた状況をうかがうことができる。右の経緯に関連して、所論は、会社側が千葉工場従業員の一部を懐柔することにより、同従業員らを煽動して組合の分裂破壊をはかり、鈴木らがその走狗となつて憲法に保障された組合の団結権を乱す裏切行為に及んだ旨を強調するのであるが、各資料を通覧するときには、会社側がなにかと千葉工場従業員の動向に関心を示し、その背後にあつてこれを支援する態勢を示していたかのごとき徴表は看取されるにしても、その一部の者を使そうして組合の分裂工作を進めたとするまでの証跡をみいだすことはできず、一方、千葉工場従業員においても、親会社との関係や生活環境上の特殊性から、本社組合員とは異なる要求と不満が累積し、本社組合からの疎外感が次第に深まつていたことは否めないところであつて、主としてこれらの要求や不満の主体的発現とみられる新たな組合の結成や、本件鈴木におけるビラBの配布行為を目して、一がいに会社側の策謀に躍らされた結果であるとし、組合の分裂をはかる反憲法的裏切行為と断ずることは、少しく偏りすぎた見解としてのそしりを免れないものと考えられる。しかしながら、結局するところ、本件の事態は、本社組合、千葉工場従業員および会社側の三者間における互いに自己の立場を有利に導こうとする意図と虚実を交じえた折衝のもつれから生じた内部紛争とみるべきものであつて、その過程のうちに誤解や偏見が介在したとしても、少なくとも本件被告人両名の行為がいずれも本社組合の幹部として、組合の内部分裂を防ぎ、その団結を固めようとする気持から発したもので、鈴木個人に対する単なる私憤や怨恨から出たものでないことは明らかな事実とみなければならない。そして、かかる対立意識をはらんだ労使間又は組合内部における折衝の場面に臨んで、自己の主張を貫こうとする意図のままに、相手方に対しきわめて軽少な有形力の行使を生ずる事態は、すでに多くの組合活動にからむ紛争において慣行化され、法秩序により許容された限界を著しく逸脱しないかぎり刑罰法上の問題を生ずるものでないとする点は、いまや一般の理解に達しているものと考えてさしつかえない。これを本件被告人らの行為についてみるのに、前記のように、外形的行為の形象において、暴行又は逮捕の各罪に定める構成要件に該当することは覆えないにしても、いずれも右のごとき動機と目的に基づき、相手方鈴木自身の動きにつれ、それに呼応して、その行動を阻止しようとする態様をもつて行なわれたものであつて、同人の身体や行動の自由を直接の侵害目標に定め、積極的にこれに打撃を加え又は拘束を与えたという性質のものでなく、かつ、鈴木においても、被告人らの行為によつて個個の行動につき当面の支障をきたしたことがあつたとはいえ、全般にその身体および行動の自由に決定的な影響を受けたものとは認められず、機会があれば従前の行動を継続しようとする企図と態度を終始維持していた状況をうかがうことができるのである。以上の諸点を総合するならば、所論憲法に保障された労働者の団結権の問題や、これに関する危険の切迫と説得行為の有無等について深く論及するまでもなく、被告人両名における各行為は、その目的、態様、被害の程度、これと被告人らが保護しようとした組合の利益との比較権衡および本件の背景をなしている各事情から実質的に考察する場合には、その違法の程度において可罰性を帯有するにいたるまでの犯罪行為とはみなしがたく、したがつて、公訴にかかる暴行又は逮捕の各罪につきいずれも罪とならない行為と認めるべきであつて、この点において論旨は理由があり、右各罪責を認めた原判決の判断は、判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用に関する誤りをおかしているものとして破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所においてさらに判決をすることとし、前記事由により、被告人両名の公訴にかかる起訴状どおりの各行為はいずれも罪とならないものであるから、同法四〇四条、三三六条前段により被告人両名はいずれも無罪として、主文のとおり判決する。

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